自分軸は執着を手放すことから始まる

4月もあっという間に半ばを過ぎていきました。
本日は、月は蠍座を運行中です。
蠍座には現在、ドラゴンテイルがいます。今夜23時ごろにぴったりと重なっていきます。
ドラゴンテイルは、[過去生でやり尽くしたこと]を表すとされています。
蠍座ですから、[何かに執着すること]かもしれませんね。
ちょうど蠍座の月が11ハウスに入った頃に、月はドラゴンテイルとコンジャンクションして、水瓶座にある土星とほぼ正確なスクエアを形成していきます。
これは、「自分がやり慣れたこと、執着してて手離せないもの」から距離を取りなさいと土星が制限を掛けている状態となっております。

今は、何事においても意見が対立しやすい状況が生まれやすいです。
例えば、長く親しくしてきた友人であっても、ある出来事に対して意見が正反対になったり、共感できなかったりすることも増えたのではないでしょうか。
そのことが孤独感を感じさせ、自分の意見は抑えて相手に合わせてしまっている、という方も多いかもしれません。周りに流されて、打たざるを得なかった、、、なんて声も聞きますし。
(こんなに弊害があっても、3回目~4回目~と、まだまだキャンペーンは続く模様。当事者にならない限りは、気が付かないのかもしれません。)

しかし、それじゃダメなんですよ。。。
意見や考え方が違うけど、自分が孤独になりたくないから、みんなの意見に合わせて自分の気持ちを抑えてしまうということをしてしまっては。
それをやり続けると、永遠にこの世の中から真の自立は出来ません。
水瓶座の土星がそれを試しているんです。水瓶座土星は精神的な自立を促し、自分軸を強化してくれます。

独りになるなんて嫌だ、かっこ悪い、寂しい。そんなのムリだ、誰かと一緒にいて安心したい!

そう思ってずーーーーっと同じ環境に甘えると、残念ながら次の新しい時代に進んだ際のステージは、今までと全く同じままのステージになっていくと思います。今の世は、世界線が複数に分かれているようなので。
こんなに時代は変わったのに、自分は「何も変わらない」というステージを選んでいる、ということになります。別にそれで幸せな人はそれでいいのですが、大抵、不平不満が溜まります。

恐らく、こういう部分で、これからの時代を自由に生きていける人と、そうでない人に分かれていくんだと思うんです。
これからの時代、「孤独」に強い人は必ず生き延びますし、逆にそのほうが分かり合える仲間が出来ると思います。逆に、「孤独」に弱く、周りの意見や権威者の意見に迎合してしまう人は、更にもっと苦しい状況に置かれて、逆にとてつもない孤独に襲われることになります。

これから、どっちを生きたいですかね?

私は、元々「孤独」で通ってきた人生だったので、こんなパンデミック茶番で人に会えなくても、実はそんなに寂しくなかったですし、繋がっている人は繋がっていますし、自分の世界があるので、別に何も困ったことは起こりませんでした。自分の世界を持っている人は、こういう時に強いです。

なんだかんだで、結局頼れるのって「自分」なんですよね。

何事も決めるのは自分。
長くて暗いトンネルを抜けるタイミングを決めるのも自分。

だから、自分を大事にしなきゃいけない時代になっている。
それは決して、自惚れるという意味ではないです。ただただ、自分で決めて選択していくだけ。
他人と合わなかったら、ただただ合わないという事実が存在するだけで、自分を抑える必要はないんですよね。
これがわかるようになると、同調圧力に負けやすい日本人はもっと生きやすくなると思います。

日本人はあまりにも、他人に『自分は良い人と思われたい』という願望が強すぎる。
でも、それは裏を返せば、『私のことを好いてくれ』というエゴでしかないです。

だから、そういう人は薄っぺらい。言葉が柔くて薄っぺらいから、結局はも信用しない。
でも、自分の信じるものがあって、物事に対して正直な自分の意見を言う人は、その意見が正しいか正しくないかなどは別にして、薄っぺらくは感じないです。

政治家や、マスコミなどが流す慈善活動に胡散臭さを感じるのはこのせいかもしれません。
薄っぺらいんですよ。何でも。言葉に芯が無いから。
発せられる単語自体は『慈愛に満ちたもの』『思いやり』のように感じられるかもしれませんが、芯が無いからフニャフニャだし、本当にただの単語にしか感じない。だから、聞いていても、全部演技のように感じるし、期待もしません。

昔、私がまだブログを書き始めて2年くらいしか経っていない頃でしょうか。
あまりにも私がズケズケときつい言葉で意見を書くので、知人から「もう少し柔らかな表現に変えたほうが、もっといろんな人が読んでくれると思う」みたいなことをアドバイスされたことがあります。
でも、私、そもそもブログ自体は自分の感情の表現の場であって、不特定多数の人に好かれるために書いているわけではないんです。ただただ自分が好きで書いているだけ。
有料情報として流しているわけでもありません。
なので、いただいた意見に対しては、「ああ、そうですか。でも、そういう書き方をすると私ではなくなるので、私は変えませんよ。」とお伝えしました。で、気がついたら8年も続けていました。笑
当時よりも読者様は増えています。きっと自分の信念を曲げたら、クソつまらないグダグダ星読みブログだったかもしれません。笑

その頃は、確かに言葉がきつかったし、怒りもぶちまけた文章を書いていたので、たまにコメントに「あなたの言葉は読んでいて怖いから書き方変えろ」的なコメントをしてきた方もいらっしゃいました。でも、そのコメントもそもそもおかしいでしょ。本当に私のことが怖かったらそんなコメントは書けないはずなので、私を傷つけたくて仕方がなかったのでしょう。
私からは、「怖いなら読まないでください」、と返信しました。
そしたら、逆ギレされましたwほらね、って感じでしたw
(私の立場からしたら、そのコメントは私のの私有地に勝手に入って来て、「お前の家のインテリアが気にくわねぇ、全部買い替えろ!」とクレームつけてきた不審者にしか見えなくて、逆にそっちの方が怖いです。笑)

もうね、人に好かれるように自分を偽れば、薄っぺらい人間になるだけだし、ズケズケとストレートに自分の気持ちを表現すれば、なんて怖い奴なんだ、と言われる。
結局、どっちに転んでも、人に合わせて自分を殺す意味を私は見出せない。笑

だったら、ちゃんと自分軸をしっかり保って、なるべく自分の心に素直に生きていきたいですよね。なんのために生きているのか、わからなくなるじゃん。

今日は、もしかしたら、そんなことを考えさせられるような出来事なども起こりやすいかもしれません。あぁぁ、私は独りで寂しい!と。でも、そこで諦めない事。

この世は自分が思っている以上に広い。
どこでどんな人と繋がるかわからない。

だから、まずは自分の中の執着を手放して、『自分』を生きられるようにしたいものです。

Nao

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