自分のやりたいことがわからない

本日で3月も終わりです。
トランジットの月が魚座で締めくくられるとは、何とも味のある演出をしてくれるではないですか。明日は牡羊座で新月があります。
新月は以前にもこちらで読んでいます。→4月1日牡羊座新月
ちょっときな臭さがある新月図でした。強烈な配置だからこそ、きな臭い。

さて、たまに私も定期的に以下のことで悩みますね。
それは何かというと、

「自分のやりたいことがわからない」

これは、本当に辛い悩みですよね。なぜかというと、行き過ぎると、「自分が何のために生きているのかわからなくなってしまう」から。
深く考える人ほど、この悩みは辛いものです。
これを他人に言うと、「この世に生きている人たちはみんなそうだ、あんただけじゃない」と言ってしまう人がいます。それは違うと思います。
悩みの重みの感じ方も人それぞれ違います。みんな同じであるわけがない。
この人にとっては、みんな同じで私だって悩んでいるだ!大変なのはあんただけではない!と言いたいところでしょう。
しかし、本当に悩んでいて心底辛いと、他人にそのようには言えないんです。

人生に悩む人は、非常に哲学的な思考の持ち主なんだと思います。
自分の人生という時間と向き合っている。そういう方は、実はクリエイティブな才能とか眠っているんじゃないかなと私は思います。
小説家や音楽家などのアーティストたちも常に考えて考えて悩んで悩みまくったうえで、色々な作品を生み出しています。ベートーヴェンなんて悩みまくりですよ。笑
私は10代の頃にベートーヴェンのソナタ熱情という曲を弾きましたが、当時はまだまだ自分も若くて楽譜を追うので必死でしたが、大人になるにつれて、いろんな感情を味わえば味わうほど、ベートーヴェンがどれだけ人生に苦悩していたかを弾くたびに感じられるようになりました。。
(あまりブログには書いていませんが、私自身4歳からピアノ弾いてます。スズキメソードというところで。幼いころからクラシックが大好きでした。スズキメソードではピアノ科の最後の課題曲がベートーヴェンのソナタ熱情でした。ショパンやリストよりも、私には難しかったです。)

悩まないといろんな感情を感じることってできないんですよ。感性は、自分が実感したもので磨かれていくものだと思うので、だからこそ、いろんな経験をしたり、いろんな感情を味わった人は、すごい作品が作れたりするんですよね。クヨクヨする人を「メンヘラ」なんて揶揄する言葉もありますが、それはその人にとって必要なものなので、決して馬鹿にできるものではありません。

やはり自分で考えないで何事もその場限りになってしまいやすい人は、意見を聞いても薄っぺらいですし、周りに流されやすいです。
悩むということは、その人の人格を深くすることなので、全く悪いことでは無いです。

「やりたいことがわからない」という感情を持つ人が多くなった一つの原因に、日本の歪んだ社会があると思います。

世の中にある「仕事」と言われるものは、ほぼ『作業』でしかありません。
自分で創意工夫したり、考えて実行したり、ということがほぼできません。
なぜなら、どの企業もトップダウンだから。
企業のルール、企業の方針が全て。
しかも、仕事は人生のほとんどの時間を占めます。
毎日朝、満員電車に乗って、行きたくもないワクワクもしない職場へ出勤し、毎日言われた
仕事を黙々とこなし、トップのご機嫌どりをする。クタクタになって帰って来て、夕食は簡単に済ませてテキトーに食す。そしてスマホなどを弄って少しだけ現実から離れ就寝。また次の朝には同じことの繰り返し。
これを1週間の内5日間もやってるんですよ。
何の刑なんでしょう。

ちなみに、この生活が始まるのは社会人からではありません。
日本の学校教育からすでに始まっています。
やる事は全て事前に決められています。皆同じように行動しなくてはなりません。
そして、幼いころからそのような環境に親しんでしまうので、それが当たり前だと勘違いをしてしまいます。
そのまま成長して、社会人になったとき、自分の自由が無い人生にも疑問を持たずに過ごしていくのです。でも、だんだん大人になればなるほど、人生がむなしく感じられてしまうんです。

自分の心が死んでしまうような時間を過ごしていたら、どんどん自分の本心に触れなくなります。さらにそこから進んで、自分の気持ちも感じることができなくなります。
その結果、「やりたいことがわからない」になります。
私も経験があるから、すごくわかる。悩んでいる本人はものすごく苦しいよね。

未だに私も本当にやりたいことがわからなくなることがあります。以前はメイクが第一優先でしたが、時間の経過とともに自分も変わります。
現に今の私は、メイクから少し離れたい、って感じてしまうことがあるからです。
人間はずっと同じステージにいるわけがないので、当たり前の事象かなと思っていますが。

なので、自分が「何をやりたいかわからなくなった」時は、まずは将来を描き過ぎないようにします。将来はこうしたいと思って描いても、気がついたら「将来こうなっていなかったらどうしよう」というプレッシャーにもなりやすいから。
あまり先のことまで想像しない。

いつも私の中で意識しているのは、「これは今やりたいか、やりたくないか」です。
何事もその意識で考えて行動します。
仕事もです。この仕事はやりたい、この仕事はやりたくない、とか。
これは食べたい、これは食べたくない、これは着たい、これは着たくない、とか。

だんだん慣れてきたら、今度は少しだけ興味の湧くことに手を付けてみる。
別に何でもいいんですよ。料理でも、お花でも、アニメでも、星占いでも。なんでもOK。
「何をやりたいかわからない」という時は、大抵、心がかなり弊しています。
だから、無理して大々的に新しいことは始めない。
わざわざ新しい資格を取りに大金払ってセミナーに行く、なんてこともしなくていい。
ただただ、これ興味あるなと思ったことをピックアップして、自分の出来る範囲で楽しむだけ。

私もこの4か月ほどは星占いやオカルトちっくなことをとことんやってみようと思って、本を読んだり調べたりして毎日過ごしていました。それをやることで何かが仕事につながる、とかそういったことを考えるのは一切なし。

ただ、興味があったからやっているだけ。

とにかく焦らない。答えを求めない。それがコツです。
だんだん時間が経てば経つほど、自分のアンテナが磨かれていくと思います

私は28歳の頃にこの方法を聞き、毎日そうやって意識して過ごしていました。当時も正社員で化粧品の企画の仕事をしていましたが、全て上の人たちに言われるがまま仕事をやるのではなく、「私はそれをやりたくありません」とはっきり言うようになりました。
社会人としてけしからん!とか言う人もいるかもしれませんが、その考えは古いです。これで良いんです。

どんなことも、「やりたいか」「やりたくないか」を意識して毎日過ごしていたら、だんだん、会社員は嫌だ、自由になりたい、という気持ちも湧いてきたし、もっと色彩を感じることが出来る仕事に変えたいって思うようになりました。
そして、メイクさんの道に辿り着きました。32歳の頃に一度はプロになれましたからね。
「やりたい」「やりたくない」の選択肢で自然とこうなっていった感じです。

若い頃はあれもやりたい、これもやりたい、と心躍る事が自然だったりしますが、だんだん年齢が上がると、やりたい事さえ思い浮かばなくなります。なぜなら、現実を知っているからです。私も、昔ほど夢は描けなくなりましたし、紙などに願望を書き出そうとしても、そもそも願望自体が全く思い浮かばないこともあったりします。

悲しいけど、それが大人になったと言う証拠かなぁと思うことも。

今の私は趣味の星読みができて、特別贅沢をしたい願望もないので、日々穏やかに暮らせればそれで良いって感じです。
有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、結婚したいとか、子供欲しいとか、長生きしたいなどの願望も一切なく。
欲を言えば、自然の多いところへ移住したいなってことくらいかな。

他人にどう思われようが、何言われようが、自分の好きなことを好きにやってればいと私は思う。

とにかく「やりたいことがない」という人は、まず「やりたくないこと」をやめてみる。
少しでも「やりたいかも」と思ったことに手をつけてみる。
すぐに結果を求めない、焦らない。

だって今は「風の時代」ですよ。
「地の時代」は皆が認めるような結果を求められましたが、「風の時代」は軽やかに生きることが大事。やってみても合わなくて続かなかったらやめていいし、逆に面白くなったらとことんやってみればいい。結果を出すには時間をかけて辛い経験を!はもう古いです。
そもそも時間の流れ方が、昔の地の時代とは全く違います。
同じ生き方ができるはずがありません。

自分を色々縛り付けすぎなんだよね、たぶん。
だから「やりたいこと」がわからなくなってしまう。
とりあえず、その自分を縛っているものをひとつづつ解いていくことから始めよう。

Nao

→天体の動きメモをこちらに掲載中